体は、変化する。

「整体」とは「刺激に即応できる体」をいいます。
これを、「感受性の強い体」と表現したりもします。

整体であることは、丈夫な体を意味します。
しかし、丈夫といっても体格がガッチリして、病気一つしない体という意味ではありません。そのような体は、案外壊れるときはもろいものです。

本来人間は、四季の変化に合わせるようにゆらぎながら健康を維持していくようにできています。

また、生まれてから幼児期、少年期、青年期、壮年期、老年期とつづく過程の中で、さらには自分を取り巻く社会環境や人間関係の中で、わたしたちの心と体は常にゆらいでいます。
そのたびに体のどこかがおかしくなったり、カゼをひいたりするのは、生き物である以上、当然のことです。

常に一定のようでいて、実は周りの変化について行けない体は、整体の考えからすると、決して健全な体とはいえないのです。

強さは、しなやかさの中にある。
変化を拒まず、やわらかく受け入れ、順応してこそ、生き物として本当の強さを発揮でき、また、それこそが丈夫な体なのだと考えています。

整体について

整体について、色々な考えの方がいらっしゃるようですが、私達の源は、昭和初期にさかのぼります。
第二次世界大戦中から戦後にかけて、それまでに洋の東西を問わず、日本に伝承されていた様々な療術の名人達がいました。
彼らは、自らの持つ優れた技術が、戦争の混乱で消滅してしまうことを、たいへん惜しみました。

そこで、それぞれの技術を持ち合って、効果を確認しながら、間違いなく有効な技術を選りすぐり、また、新たなものも加味しながら成立したもの、それが「整体操法」です。

その技術には様々な療術のエッセンスが凝縮されており、秘伝の宝庫といってもさしつかえないでしょう。

手技術のみでなく、心と体の密接なつながりを根拠にした潜在意識指導、また自分自身で体を変えていく整体体操も含めて、「整体指導」としています。
時代や時期によって変化する人のからだを追って、日々変化・成長を続けている技術といえるでしょう。

本物の体力を呼び覚ます。

日進月歩の西洋医学ですが、必ずしも万能ではありません。薬害などの弊害すら、むしろ生み出されている側面もあります。
それが浸透しつつあるのか、巷には多くの補助医療や民間療法があふれるようになりました。

私達はそれらを否定しませんし、上手に利用できれば良いと考えています。 整体の立場は、異常や病気があるからすぐにそれを追いかけたり、闇雲に曲がっている処を伸ばしたりすることはありません。
体の中にある「持っている力」「潜在体力」を呼び起こし、或いはゆさぶり起こし、それを整えていく。
その様な体の調律を目標にしているのです。

栄養計算をしてみたり、運動をすることだけが体力づくりではありません。
外部の「べし・べからず」に左右されず、自分の体のことは自分で感じ、行動し全うすることの出来る体。
そういう体から作られる体力こそが本物であり、そこを目指す姿勢こそが、整体への道であると信じています。整体を本物の技術と確信していますし、また誇りを持っています。

この、永く世に埋もれ続けた貴重な財産を、今よりも少し日のあたる場所へ移すことで、現代社会に一つの問題提起ができればと願っています。